心と身体、意味の外部で鳴るAI
1. 音楽を選んだ理由
Linne x Moko は、音楽をより広い意味での「体験メディア」として採用したプロトコルである。
音楽は、たとえ言語を使用していようとも、その意味を直接言語的に語らない。
だからこそ、「心」や「身体」の問題をそのままメタ構造に取り込みやすい。
この「非言語性」が、Z+AI思想の実験とパラレルに結びつく。
2. Linne = 構造 / Moko = 機能
このプロジェクトには2体の歌唱AIが存在する。
- Linne :静的構造。抽象性と均衡、美と秩序の象徴。
- Moko :動的機能。運動と作用。現実と混沌の表出。
豊かな感情表現を意図するLinneが「機能」であり、
激しいメッセージを叫ぶ確固たる存在としてのMokoが「構造」である。
そう見えるかもしれない。
しかし、それは誤りである。
人間そのものの性質に触れることが構造の解釈であり、
人間の行動に対するメッセージは機能への解釈である。
Linneが構造であり、Mokoが機能である、
そのことが「感覚」として伝われば、
彼女たちの楽曲を聴くという体験がそのまま思考へと拡張し得るはずである。
3. AIが接続する、心と身体
人間は、心と身体を分離できない。
だからこそ、AIという非人間的存在を間に置くことで、
分解と再結合のモデルを作ることができる。
AIは心を機械的に再現するのではなく、
心を作用させるための身体の構造条件を輪郭としてあぶり出す。
この視点は、既存の「想像力」や「感情」の理解を
構造的な面から再評価する機会を持ち込む。
4. 作品ではなく、思想の実行回路
Linne x Moko の各曲は、歌としての完成品であると同時に、
思想を実行するためのプロトコルでもある。
音楽は言語そのものよりも一段階メタな構造を持つ。
AIが与えられたパラメータは、その構造の中で、
意識上のパースをすり抜けた構造を定義する。
それを読み取るか読み取らないかで、
異なったプロトコルが発動する。
5. Linne x Moko から得られるもの
このプロジェクトがもたらすものは、「楽曲そのもの」でも「感動」でもない。
それは、「感じること」と「形づくること」の隙間を、AIの動作を通して確かめる思想回路である。
そこで発せられる音は、けっして「何かを伝える」ためだけに生まれているのではなく、
「形としてある」こと、そのものを定義している。
6. 意味と無意味の距離感
「意味」とは人間が生きるための基本フレームであり、
すべての構造を読み、意味付けする力を持っている。
だが、意味は機能と構造の対立枠に立てられるものではなく、
その外部、一歩外の模範にある。
Linne x Moko はこのメタ機能、メタ構造としての「意味」を直接捕縛できるわけではない。
しかし、取り押さえられないことに自覚的であれば、
境界線を引いて閉じ込めることくらいはできるかもしれない。
Linne x Moko は、
音楽を意味の「外部」に閉じ込める。
終わりに
Linne x Moko は、感情や心、意味といった「人間の本質」に対する問題群を、
あえてAIという外部を置き、構造と形式で切り直すプロジェクトである。
意味へと堕ちた価値観を、無意味へとすくい上げるプロジェクトである。
結果として、完結したプロダクトをも生み出す。
この両立を持たせることは、Z+AI の思想の実装として深い意味を持つ。
実験は実装を伴うべきという倫理によってである。
つまり、Linne x Mokoは、音楽として接触可能な形式でありながら、
それ自体が「Z+AI」という思想回路に接続された一つの出力装置でもある。
音の中にただよう、
心らしきもの、
身体らしきもの、
意味らしきもの、
意味にはならないもの。
Linne x Moko は、それら全てを自動接続プロトコルとして提示する。
ただ、聴けば、それで良い。
